評価という体験がきっかけで不登校

小学校に入学すると、通知表で子どもは学校から評価される

 

小学校に入学すると、通知表というものがあり、子どもは学校から評価されることとなります。

「よくできる」「できる」「もう少し」などの評価は、それが良いものであれば、親にとっても子ども本人にとっても嬉しいものに感じられるでしょう。

通知表の評価が悪い時は親も本人も少なからず動揺を感じる

 

反対に、自分が思っていたものと違う時には、親も本人も少なからず動揺を感じることになるでしょう。例えば、生活面における「もう少し」という評価は、親としての自分自身を評価されているように感じてしまうという方も少なくないようです。

中学校に入学するとより明確に数字で評価される

 

さらに、中学校に入学するとより明確に数字で評価されるようになります。自分のしてきたことを1~5などの数字で具体的に評価されるようになり、成績の評価から受け取る印象も自然と強くなります。

努力に見合った結果を得られない場合、挫折感や恥の気持ちを感じる

 

そして子どもは、努力に見合った結果を得られない場合や、自分には到底かなわないと思う人に出会った時には、挫折感や恥の気持ちを感じることとなるかもし れません。また自分の予想よりもマイナスの評価しか得られない場合には、怒りや不信感などの感情を抱くこともあるでしょう。
場合によっては、そういった感情から逃れるために、非行や不登校などの行動をとってしまうかもしれません。

ですが、こういった経験が人の成長にとっては欠かすことのできないものであることも間違いありません。

それでは、子どもが非行や不登校のような「サイン」を出している時に、親や大人はどのような反応をするべきなのでしょうか?

子どもの問題に対する親の関わり方

 

「いじめ」や「非行」は今日社会問題になっています。しかし、親やマスコミまでもが、躍起なって加害者探しをして、事件の原因として教師・学校・教育委員 会を一方的に批判する姿勢には、どことなく後味の悪さを感じずにはいられません。果たして、第三者が原因や加害者を探すことに意味はあるのでしょうか?

実際に、不登校になった子どもを対象に行ったアンケート(*)の中で、多くの子どもが「学校についてはそっとしておいてほしい」と答えています。

まわりが躍起になって不登校の原因を探す行為は本人が苦しむ

 

まわりが躍起になって不登校の原因を探し、それを取り除こうとすることは、本人にとっては余計に苦しみが増したり、自分を情けなく感じてしまうことにも繋 がりかねません。こうした行為が行き過ぎてしまうと、子どもが葛藤の末に進むべき道を自分自身で決定していく、という成長の機会を奪ってしまうことにもな りかねません。

不登校になった時期に、大いに悩み、どういった人に出会えるかが、人の成長において非常に重要

 

不登校になった時期に、大いに悩み、どういった人に出会えるかが、人の成長において非常に重要になってくると思います。そして、抱えている問題を解決するのは、いつだって子ども本人です。 もちろん「問題を抱えた子どもを放っておく」「行き過ぎた行為を止める努力をしない」といったことは、問題ですが、「大人が関わる適切な距離」や「あえて見守る」という姿勢も、時には必要なのではないでしょうか。

親は不登校の子どもに不自然な笑顔をしてはダメ

 

不登校の子供にとって一番悲しいこと、といっても過言ではないことが

「親の不自然な笑顔」

です。

子供になったつもりでイメージしてみてください。

自分が学校に行かなくなる前は自然なお父さんお母さんだったのに、自分が不登校になってからは妙に子供の機嫌をとるようなお父さんお母さんになり、作り笑いをして子供が不機嫌にならないように気を使っている…… 不自然な笑顔で子供が学校に行きやすくなるような空気を作ろうとしている……

そんな状態になったら、どんな気持ちなると思いますか?

決して極端な話ではなく、親を親と思えなくなるかもしれませんよね。

我が子に対して営業マンが見せるような作り笑いをすれば、子供は親のことを他人のように感じます。普通に学校に行っているときの親子の関係が頭にあり、自然な笑顔を見せあう関係が本来の親子だと思っているからです。

そうして、

「この人たち(お父さんお母さん)は子供を学校に行かせるためなら嘘の笑顔でも見せるんだ」

と思い、それが親に対する不信感となり、親のサポートを拒絶するようになり…… 不登校悪化・長期化に向かうんですね。

仮に不登校悪化・長期化に向かわなかったとしても悲しいですよ。子供はその悲しみを一生胸に抱え、ある時爆発させるでしょう。実はそれが10年後20年後の不登校類似状態(引きこもり・出社拒否症など)の再発の原因なのですが、そのことについて話すと長くなるのでここでは割愛させていただきます。

決して間違いでは無いのですが、不登校対応に関する知識が浅い専門家は「家庭ではできるだけ笑顔でいてください」とアドバイスします。本当は「自然な笑顔」でなければ意味がなく、笑顔を自然にするためのトレーニングまで提供できるのが本物のプロなのですが、そこまでできる専門家はほとんどいないんですよね。

ですから、

「間違いではないけれども逆効果を生じさせてしまうアドバイス」

が不登校サポート業界では横行しているのです。

そのアドバイスを受け、自宅で作り笑いをしてしまう親……

それを見て悲しくなる子供……

この悲劇がなくなることは、しばらく無いでしょう。

「間違いではないけれども逆効果を生じさせてしまうアドバイス」が横行している現代の不登校サポート業界が早く健全化されるよう、私としてもできることを精一杯やっていきたいと思っています。

ありがとうを絶やしてはいけない

 

子供が不登校になってから、親御さん自身が「ありがとう」と言う数は増えましたか? 減りましたか?

意外に思われるかもしれませんが、実は、この質問に「増えました」と答える親御さんが多いんです。厳密に言えば、不登校初期の子供を持つ親御さんは「減りました」と回答することが多く、不登校が長期化に入っている子供を持つ親御さんは「増えました」と回答することが多いんですね。

ここには興味深いメカニズムが隠されています。ちょっと不思議なお話に思えるかもしれませんが、雑談を聴く時のような感覚で気軽な気持ちで読んでください。

今これを読んでいるあなたは、感謝の対義語をご存知でしょうか?

国語辞典的にはわかりませんが、心の勉強をしている方ならこう答えるはずです。

「『感謝』の対義語は『当たり前』」

そう、「感謝」の反対は「当たり前」なんですね。ですから、人間は無意識でバランスをとります。 「当たり前だ」と感じることの割合が増えてくると、「いけない、いけない!感謝が足りないぞ!」と無意識が発動し、「感謝の割合を増やしたくなる事態」を引き起こすのです。

不登校という事態もその1つです。子供が不登校になることで、子供が普通に学校に行っていたことは「当たり前」ではなくて「感謝すべきこと」だったんだと気づき、学べるんですね。そこで感謝の量を増やしていければ、バランスが改善し、いつの間にか子供が不登校を抜け出していくし、逆にそこで学ばず、感謝の量をさらに減らしていくようなら、ますますバランス改善が必要となるため新たなネガティブ現象(感謝の割合を増やしたくなる事態)を引き起こすのです。

ですから、そこに直感的に気づいた親御さんは自然と「ありがとう」と思う回数(言う回数)が増えていきます。

子供が生きてくれているだけでもありがたい、子供が元気なだけでありがたい、子供の
笑顔を見られるだけでありがたい…… そんなふうに感謝する割合が増え、それに従い自然と「ありがとう」と言う回数も増えてくるのです。

ただし、そんなふうに自然と感謝の割合が増えている親御さんでも、そのほとんどはバランス改善に至っていません。ほんのわずかしか感謝の割合が増えていないので、子供の不登校という事態が不要になるまでには至っていないのです。

ですから、「当たり前」と感じているものを「感謝」に置き換えることを継続していかなければなりません。それを3ヶ月以上継続できる親御さんは100人に1人もいないと思いますが、挑戦する価値はあります。もし、3ヶ月以上継続できて感謝の割合が飛躍的に増えたら、その後は子供の様子が全く違ってくるでしょう。

感謝の減少防止に関しては甘く考えないでください。「これくらいなら自分ひとりでできる」と思うかもしれませんが、それは3ヶ月後に全く違った体型になるくらい難しいことです。体重100キロの人が3ヶ月で45キロに痩せるぐらい難しいものだと思っていてください。トレーナー(専門家)のサポートなしでは普通は無理です。

「子供の不登校の原因は親にある」

 

そう提唱する専門家は多いものです。

その言葉を真に受けて自分自身を責め続けている親御さんも多いことでしょう。

「子供が不登校になったのは私のせいだ。私はなんてダメな親なんだ。ダメだ、ダメだ……」

と。

確かに、子供の不登校の原因が親にあることは事実です。子供を育ててきたのは親なのですから、少なからず影響を与えてきたことは否定できません。

子供の最も近くで最も多くの影響を与えた存在が親だと仮定するなら、その心理形成への影響力は極端に大きく、親の過去の子育てプロセスが原因で不登校になったとも考えられるでしょう。親の育て方のミスが大きく影響し、子供が不登校になることもあるはずです。

しかし、全部が全部親の責任かと言えば、そうではないでしょう。

子供も一人の人間です。“受け取り方”の選択の自由は常に持っています。親から言われたこと・されたことをどう受け取るかの自由は常にあって、それを子供なりに選択してきたわけですから、その選択にまで親御さんが責任を持つ必要はありません。

不登校の原因の一部が親にあったとしても、全てが親の責任ではなく、一部は子供にもあると考えるのが妥当です。

それから、親も一人の人間だということを忘れないで下さい。



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この度は僕のブログを読んでいただきありがとうございます。

当ブログは不登校だった僕が受験勉強で死ぬほど人生変わったので、そのことについて一部始終書いています。

もし今不登校で自分の将来に悩んでる方が見て、少しでも勇気が出たら嬉しいです。

ちなみに僕の人生が変わったきっかけはこのブログを見てからなので興味ある方は是非↓

【慶應早稲田なんて簡単だ。最後にSFCに2ヶ月で受かった個別指導生徒とのLINE@の案内あり。

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